現実世界と精神世界のバランスを取る
私は定期的にオンラインでの瞑想会や個人セッションなど行っていますが、先日オンラインの瞑想会に参加されたTさんから質問を頂きまして、瞑想も少しずつ行ってきて、本当の自分で在ること、について理解が深まってきていますが、あまりにもそちらにばかり向かってしまうと、現実生活を生きる上において、あまりにも偏りすぎるのはどうなのか?という疑問が生じたということでした。
本来の自分に気づきながら、そちらのことばかり重視しすぎるのではなく、人として生まれてきた意味も考えて、精神性と人間性のバランスを取りながら生きていくことが、人として生まれてきた意味なのではないか?ということを聞かれました。
瞑想を学んでいく上で、本来の自分で在ることにこだわりすぎることがあるので、かえって人間らしく在ることを忘れてしまうこともあるので、それは良くないのではないかと思うことがあるのですが、無境さんの意見はどうですか?という質問を頂きました。
これは私もバランスを欠いていた時期がありまして、どうしても瞑想をしていてバランスを欠いてしまうことが起こり得ます。宗教やスピリチュアルに熱心な人で、バランスを欠いてしまう人がよくいます。
私もかつては現実生活や人間性を軽視しすぎていた時期があり、その時は著しくバランスを欠いていました。それが数年前からどちらも大事であると考えるようになり、本来の自分で在ることに意識が向かう人は非常に少数派で、そういうことに関心を持ち、学び実践をすることは素晴らしいことではありますが、私たちはこの人間世界に肉体を持って存在している以上、それを全く無視することはできません。
それは車の両輪のようなものであり、どちらも大事であり、どちらかに偏ってしまってはいけません。
そしてTさんには精神性と人間性のバランスを取ることが良いと思います。どちらかに偏りすぎるのはいけません、とお答えしました。
山にこもってずっと修行や探求をし続けるのならば、精神性だけに意識を向けていればいいですが、現実生活を営んでいくならば、そういうわけにはいきません。
Tさんもご家族があるので、それを捨てて探求だけをするわけにはいかないので、バランスを取ることが大事だと思いますとお答えしたら、「それを聞いて安心しました」とTさんから返事がきました。
最初の内は精神世界と現実世界のバランスを取ることが難しいです。探求の途上においては、外的なことに鋭敏になり、現実世界のことが非常に煩わしく感じられることもあります。
その時期を超えてバランスが取れてくると、そういったことにあまり煩わされることもなく、地に足を付けて探求していくことができるようになってきます。
そして現実性を無視して、精神性に偏っている人が見受けられます。やはり現実は現実として切り捨てるのではなく、それをしっかりと見据えていくことです。
あまり現実生活に迎合しすぎるのもよくないですし、情報を取り入れすぎないようにするとか、世間の常識にとらわれすぎないようにすることも必要ですが、現実を省みないのもダメです。
ところがこのバランスを取ることがなかなか難しく、人間というものはどうしても両極に偏りがちで、今の世の中を見ても極端な論に走りがちです。これは少々危ういことだと個人的には感じます。
どうしても両極に走りがちなところをバランスを取っていく。これは仏教では中道と言いますが、それが非常に大切であると思います。
そして両極偏らず、中道を行くのが本来の私たちの在り方ではないかと思われます。
重ねて言いますが、精神や霊性の探求をされている方は、精神世界と現実生活のバランスを取って生きることを、肝に銘じていただきたく思います。
私自身バランスが取れてくると非常に楽になりまして、これが本来の自然な在り方だなと確信しました。
極端に偏っている時は、どこか自己満足の世界で自分ではこれで良いんだと思っていましたが、実はそうではなかったのです。
そのことを今後も皆さんにお伝えしていければと思います。
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