【プレゼンスとビーイング】 気づきと存在にくつろぐこと


長年修行や探求をしていく中で、多くの本を読んできましたが、私が非常に影響を受けた本、教えとしてアジズとフーマンの本、教えに多大な影響を受けてきました。


今はそれだけではなく、他の影響も受けていますが、今でも強くアジズとフーマンの影響は私の中に残っています。


まずアジズですが、彼は「ステイト オブ プレゼンス」ということを強調しており、これは気づきでして、アウェアネスとも言いますが、ステイト オブ プレゼンスは気づきの主体、気づきの本質そのものであることだと私は受け止めています。


そしてビーイングということで、これは存在そのものであることですが、プレゼンスは男性原理であり、ベクトルとしては垂直方向ですが、ビーイングはくつろぎ、安らぎで、ベクトルは水平であり広がり、全てを包含するという働きで、女性原理・母性と言えましょう。


そしてもう一つ、これは特にフーマンが述べているものですが、それがハートですが、今回はこのプレゼンスとビーイング、気づきとくつろぎについて述べていきます。


ここではアジズやフーマンがプレゼンスやビーイングとはこうだと主張していることはあまり述べず、私が実感したことを中心に語っていきます。


アジズやフーマンの言説が載っている本が何冊かあり、アジズは複数ありますが、フーマンは3冊でして、私が特に読み込んだのがキヨタカさんという方がアジズやフーマンと対話したものを本にしたものがあり、それらを何度も読み、キヨタカさんが開催されている瞑想会やリトリートに参加して、そこでプレゼンス、ビーイング、ハートのことを話しに聞いたり、瞑想でより理解を深め、深層に落とし込んでいきました。


それによって私の瞑想や目覚め、覚醒の度合いが一気に進んだという実感があります。


先程男性原理、女性原理ということを述べましたが、瞑想で大体どちらかに偏ります。


例えば座禅では背筋をピシッと伸ばして、目を半眼にして微動だにせず、一切の雑念が浮いてこないようにして、姿勢を正して座り続ける、というイメージがある人が多いでしょう。


その一方で、瞑想というと座ってゆったりとくつろいでいくといイメージの方もいます。


これはどちらもまさしく瞑想ですが、どちらも実は大切です。ところが多くの場合どちらかに偏りがちです。


昭和の世代では本格的に瞑想をするとなると、くつろぐなんてとんでもない、とにかく姿勢を正して微動だにせず座り続けるという印象があり、私もそのような印象があり、そんな瞑想のやり方を続けてきました。


そしてくつろぐと言いましたが、私が言っているくつろぐとは一般的な意味合いでは無く、心底くつろぎリラックスして、存在に溶け込むというのが、今の私の実感です。


何年も前に私に瞑想を指導してくれた人は、少しでもくつろいでいると「だらけているんじゃない」と渇を入れられたくらいで、一緒に瞑想をしていた仲間達もそのような姿勢で行っていたので、瞑想でくつろぐということはなかったのです。


それがキヨタカさんのところで瞑想した際に、ビーイングということを聞いた時はちょっとビックリしました。瞑想中に緩んで良いのか?と。


昨今のスピリチュアルでは、昔ながらの修行法や瞑想法というよりも、ゆったりとくつろぐということがメインになっているように見受けられますが、昔ながらの伝統的な修行のやり方だと、くつろいでいると怠惰、怠けているという受け止められ方もしました。


そして単に緩みっぱなしでもダメで、まずは芯が一本通っていることが大切であり、意識の明晰さ、気づきを明確にするということも非常に重要です。


ただしそれに偏ってしまうと、やはりガチッと固まってしまい、くつろぎもなく存在に溶け込むということが起こらないと今は実感しています。


私は最初のうちはビーイング、くつろいで存在に溶け込むということが理解できなかったですが、何度もビーイングの瞑想やワークを行っていくうちに実感できるようになってきました。


ヨガで様々なアーサナ、ポーズを行ってから休息のポーズ、シャヴァアーサナというものをとりますが、これは横たわっていますが瞑想なのです。


このシャヴァアーサナは最も高度で難しいアーサナとも言われていますが、これは横たわっているので、意識やエネルギーのベクトルが垂直ではなく水平で、これは完全なくつろぎ、明け渡しです。


よく明け渡しということが言われますが、これは存在にくつろぐ、明け渡すということです。


単にくつろいでぼやーっとしているだけでなく、それだと瞑想の一側面でしかないので、意識の鮮明さ、気づきが明確であることが伴って完全にくつろぎ、明け渡すということがとても大切です。


ほとんどの人がどちらかに偏りがちですが、どちらも必要であり、どちらが重要かということでもなく、車輪の両輪の如くどちらかが欠けてもバランスを欠いてしまいます。


私はこういったことを心がけながら、自分自身の瞑想をしたり、瞑想会やセッションではこのことをお伝えしようとしています。


ではこのプレゼンス、アウェアネス、気づきというものを明晰にしていくにはどうすれば良いかというと、これは多くの瞑想やワークがあります。


その中の一つをご紹介しますが、私はよく気づきの主体にとどまるということを言いますが、普通気づきというと何かに気づいているということを指し、外側の対象物に気づいているということになってしまいます。


目の前にスマホがあるとか、友人がいるなどですが、これは気づきの対象物です。


そして気づきそのものとは、内側と外側という言い方だと内側にあります。


昨今マインドフルネスが流行しており、過去でも未来でもなく今に在るということが、私はステイト オブ プレゼンスに通ずるものがあるという思いがあります。


こう言うと「マインドフルネスとステイト オブ プレゼンスは全然違う」という人もいるかもしれませんが、完全に一致していなくても、相通ずるものはあると思います。


そして私はよく瞑想会やセッションでプレゼンスの説明をする際に、タブレットの画像を見てもらいます。タブレットに様々な画像が写っています。それを見て綺麗だなと感じる人もいるし、あまり好きではない、と思う人もいます。


画像を見ることで、様々な思考や感情が付随して沸き起こってきます。それが普段の私達の状態です。


そしてタブレットに何も写っていない状態、それこそがステイト オブ プレゼンスの状態です。


気づきの主体に在ると何も写っていない状態ですが、普段の私達は画面に何か写っていると、それに同化してしまい、美しいなとか汚いなとか、様々な思考や感情をくっつけてしまい、巻き込まれていきます。


ところが気づきの主体は何も写っていない、タブレットそのものです。


この説明でよくわかった、という人もいれば、何を言っているかわからない、という人もいます。


ただここでした説明はあくまでもメタファー、比喩でして、実際に瞑想やワークで実体験していくことがより大切です。



私はステイト オブ プレゼンスの話しを聞いても、最初は何のことだかよくわかりませんでした。


外側に意識が向いていて、自分と対象物という二元の状態でした。


プレゼンスで在ることは、一元、非二元の状態です。


このことが説明を聞いたり、瞑想をしていくうちに段々明確になってきました。


アジズはプレゼンスはエネルギー体験として知覚できる、と言っておりまして、プレゼンス自体はエネルギーでは無いですが、最初はエネルギー体験として実感すると本に書いてあり、そして私もそのように実体験しました。


始めてプレゼンス体験が起きた時は、眉間の奥に固まりが感じられました。ガッチリとしたものがあって、これは抜けるのだろうか?と思案したくらいでした。


頭痛とは違うけれども強い圧力があり、「これは何とかなるんでしょうか?」と相談したら、それもいずれ抜けていくよと言われましたが、「こんなに強い圧力があって大丈夫だろうか?」と少し心配しましたが、次第に圧力も薄れていき、今では全くありません。


よく映画のたとえで、映画のスクリーンに映っている場面を見て、それに同化し一喜一憂してしまうのが多くの人々で、本来の在り方は何も映っていないスクリーンだと説明されます。


そしてプレゼンスはそのスクリーンそのものであり、それが言葉だけの理解ではなく、瞑想やワークでまずは実体験し、最終的には体験でもなく、それそのものであるということです。


それではステイト オブ プレゼンスを実体験するワークを一つやってみましょう。


眉間でも良いですが、表面ではなく眉間の奥、よく松果体が重要だとスピリチュアルの世界で言われますが、アジズの本だと視床下部が重要と言っています。


松果体や視床下部の正確な位置を今私は示せないですが、眉間の奥の方まで水平に伸ばした位置と、頭頂から垂直に降ろしていった位置が交わる点、そこを意識していきます。


そして息を吸ったときに、視床下部の近辺に意識を向けます。そして吐くときにそこから息が出て行くようにイメージします。


意識を外に向けずにこの瞑想、ワークを行っていくと、本来の自分はスクリーンそのものであり、映っている幻想ではないということがわかる人にはわかってきます。


では短い時間ですが、少しやってみましょう。


軽く目を閉じて姿勢を正します。


まずゆったりとした呼吸をして、吸う息が頭の中に到達していきます。


そこから吐く息がスーッと出て行きます。


眉間の方がやりやすい方はそれでも構いません。できる方は眉間の奥に意識を向けていきます。


そして呼吸も手放して、呼吸を意識することなく、ただ眉間の奥に意識を向けていきます。


思考や感情が生じても、それは必ず来ては去って行く。ただ過ぎ去るのみ。


この状態でただ沈黙して瞑想に入っていきます。


瞑想を長めに行う方は、動画を見ながらだと動画を止めて瞑想時間を長めに確保してください。


私はこれを何回か行なっているうちに、気づきの主体が明確になってきました。


一度やってわからないからと放棄してしまうのではなく、何度も繰り返し行なうことが大切です。


このステイト オブ プレゼンスに関するワーク、瞑想も色々とあり、それらに関心がある方はお問い合わせください。


この気づき、プレゼンスは瞑想、覚醒における重要なパートですが、もう一つビーイング、存在にくつろぐというのも欠かせないパートです。


今回紹介した瞑想、ワークを行なっていくと、中心軸、センターが確立していき、意識が明晰になり、気づきがハッキリとしてきますが、それだとまだ堅さがあり、融通無碍という状態ではありません。


これがビーイング、存在にくつろぐ、明け渡すということと統合されていくと、私達本来の在り方になっていくと。


そしてビーイングにはヨガのシャヴァアーサナが非常に有効ですが、今から私が教わったやり方を紹介します。


プレゼンスでは意識を比較的上の方に向けますが、ビーイングではハラに向けます。


そしてハラに意識を向けて、エネルギーもそこに降りていくと、凝り固まっていた体や意識が、自然にふわっと緩んでいきます。それによって真の安らぎ、くつろぎが生じてきます。


ではまた軽く目を閉じて呼吸をしていきますが、今度はハラに呼吸が到る。


これはおへその辺りや、丹田とか色々とありますが、自分にとって一番しっくりとくるところに意識を置いてください。


吸った息がハラに降りていきます。そしてハラから息が出ていく。


そうすると心身が自然に緩んできて、意識が水平に広がっていき、くつろぎが意図することなく自然に生じてきます。


一切を明け渡して存在にくつろいでいきます。


自分にとってちょうど良い、心地よい時間くつろいで瞑想をしていきましょう。


私の場合最初はプレゼンス、気づきの主体がこういうものかと実感できて、ビーイング、存在にくつろぐことがなかなか理解できませんでしたが、それは以前にあまりにも男性原理優位のやり方にとらわれていて、女性原理のくつろぐ、存在に明け渡すということができていなかったので最初はわかりにくかったです。


でも次第に腑に落ちてくると、ビーイング、存在にくつろぐということの重要性がわかってきました。


そしてヨガでも緊張と弛緩のバランスを取る、ということを言います。


まずアーサナやプラーナーヤーマを行ない、その時は緊張状態にありますが、それからシャヴァアーサナでくつろいでいきます。


釈迦の有名な説話で、弦楽器を演奏する弟子に対して、釈迦が弦がどのような状態の時に良い音がでるかと問いかけて、弟子が弦がきつすぎず、ゆるすぎない状態の時に良い音がなりますと答え、釈迦が瞑想もそれと同じことだと答えたという逸話があります。


そういうことを私も知識として知ってはいましたが、緊張の方に偏りすぎていました。


今ではどちらに偏るのではなく、それらが統合されることが本来の瞑想、本来の在り方であると今では確信しています。

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