瞑想を深めると ~気づかなったものに直面する~

昨今瞑想に取り組む人が増えているようです。マインドフルネスが流行していて、それまで瞑想に見向きもしていなかった人々、ビジネスマンも行うようになり、女性でも瞑想に取り組む人も増えているようですね。

座禅会も禅寺で開催されていて、それに参加される方々もいらっしゃいます。

これは喜ばしいことではないかと思いますが、しかしながら瞑想に取り組んでみたのはいいが、長続きせず途中で諦める、挫折する人もそれなりにいます。

これについては当然何らかの要因がありますが、一つには瞑想は進歩の度合いが分かりづらいです。これが仕事やスポーツなどでは比較的進歩の度合いがわかりやすいですね。

スポーツではパフォーマンスの向上がとても分かりやすいです。例えば野球ではそれまで打てなかったボールが打てるようになるとか、取れなかったボールが取れるようになるとか、そういったことで進歩が明確ですが、瞑想はどれだけうまくいっているであるとか、進歩しているかどうかは分かりづらい。

これはある段階までくればある程度分かってきますが、それまでが非常に分かりづらいのです。

ですから瞑想していても雑念だらけでイライラしたりとか、眠くなったりして全然瞑想ができないということで挫折してしまうという方も多いです。

足が痛い、腰が痛いなど身体の痛みもなかなか辛く、それでやめてしまう人もいます。

これらは言ってしまえば身も蓋もないですが、瞑想を続けていけばそこを乗り越えて瞑想ができるようになっていきます。ですがそれまではなかなか大変です。

やはりこれは自己流でやってしまうとなかなか難しいですね。やはりきちんと指導を受けることで瞑想に取り組みやすくなるし、継続も容易になります。

瞑想で雑念が湧いてきて、それに自分ひとりで陥ると「ああ、もう瞑想が全然できないな」ということで意気消沈して挫折してしまいますが、きちんと説明を受ければ、それまで日常生活で雑念があることすら気づいていなかったのが、瞑想で意識が内側に向かうことによって、今まで気づかなかった色々な心の動き、思考や感情であるとかに気づいてきた状態です。

それは決して悪いことではありませんよ。と説明をされれば、「ああそういうことか。それならもう少し頑張ってみようか」と継続していけます。

また瞑想に慣れた人や、志を同じくする人や仲間たちと一緒に瞑想することで瞑想しやすくもなります。

ですから最初自分一人で瞑想しようとしても、それは難しいです。

では最初の瞑想に挫折しやすいポイントを突破したとして、瞑想して心地よいとか、様々なことに気づいてきて瞑想が継続していけたとしても、ここでまた落とし穴があり、瞑想ができなくなる罠が生じることがあります。

それは何かというと、瞑想が深まると今まで気づかなかった色々な自分の要素、内在していたものがでてきます。それが少しずつ出てくることもあれば、一気にドーンと出てくる場合もあります。

これは個体差がありますから、一律にこうなるということは言えませんが、本当に深い領域にまで至ってくると、今まで自分が全く気づいてもいなかったことに気づいていく、目の当たりにしてビックリすると言いますか、「これはちょっと耐えられないな、何なんだこれは?!」というものに直面してきます。

当然そうなるとなかなか辛いですから、「これは瞑想を続けられないな」ということで辞めてしまうということがあります。

あるいは明確にそこまで辛いことはなくても、次第に自分の奥底にあるものに気づいてきて、表層意識では明確にもうできないと思わなくても、潜在意識で瞑想を続けてられない、となって辞めてしまう人もいます。

私も一緒に瞑想していたり、指導をしたりして順調にプロセスが進んでいるなと思える人でも、ある日突然「もう瞑想はいいです」ということで辞めてしまう人もいました。

その人は別に瞑想が全くできなくなったとか、内面の奥底にあるとんでもないものに直面して「もうやってられない」となってはいなくても、何か瞑想を続けさせない無意識の働きが生じてしまう。そういうケースもよくあります。

そこも超えていくと、本当の意味で瞑想ができてくるということになります。

そして瞑想に取り組むのは色々な動機がありますが、単純にストレスを解消するとか、心穏やかにいるようにするためとか、仕事の能率を上げるためであるとか、そういうことならばそこまで深い段階まで至る必要はないですし、そういう方はそれでいいと思います。

ですが本格的に瞑想を極めたいとか、本当の自分に目覚めたいとか、迷妄から脱却したいとか、そういう方は瞑想やスピリチュアルワークを行い、ただただ平安に、順風満帆に進むことはないですから、楽な時もありますが、ドロドロしたものに直面することは避けられません。

そういうことを避けて、浅い段階で楽しむ。それはそれでいいですが、本当の意味でより深めたいのなら、お気楽にキラキラ、フワフワとしているだけなら、それは難しいと言いますか、私は不可能であると思います。

何か瞑想やスピリチュアルワークを進めがたいことが起こったとしても、まずそれは当然起こりえることを理解する。

そういうことを経ないで真に目覚めることはあり得ないことを理解していただきたいです。

そしてここでも自分一人だけでは難しいですから、的確な指導を受けることが本来は大切ですが、的確な指導をできる人がどれだけいるかというと、これもなかなか難しいところなのですが、一つには綺麗事ばかり言っている人は、様々なことに直面してそれを乗り越えていくことについて、的確な指導や説明をすることはできないと思うので、きちんとそのことについて説明をできる方の指導を受けた方がいいと思います。

昨今色々なスピリチュアル系の本であるとか瞑想の本が出版され、指導をされる人もいますが、瞑想をしていって困難な状況であるとか、闇に直面するであるとか、そういうことをきちんと説明している本や指導者はあまりいないような気がします。

それは綺麗事を書いていた方が売れるし人も来ます。「あなた、瞑想をして大変なこともあるんですよ。障害も生じてきますけどね、そういったことも超えていきましょうね」ということを言っても、「いやそんな目に合うのなら、私はいいよ」となりますね。

「瞑想して、スピリチュアルな実践をして、こんなに素晴らしいことがありますよ。目覚めてくるとこんなにも素晴らしいんですよ」と言った方が「それはいいなあ。私もそうなりたいなあ」とどうしても人というものはなりますね。

でも本当の意味で、迷妄から脱却する、マーヤーから目覚めるには、深い領域に入ってくると様々な今まで気づいていなかったものに直面する。

それは大変な困難を伴うこともあるけれども、それを超えたところに信の解放があるのだということをしっかりと説明してくれる書籍や指導者を参考にされるのがいいと思います。

あの釈迦牟尼ですら、悟っていく過程において、最後に7日間菩提樹の下で瞑想されて、そこでマーラ、悪魔から色々な攻撃や誘惑を受け、それでも釈迦牟尼は座り続けて悟ったと言われております。

釈迦牟尼でも悟られる前に様々な障害、困難がありました。

マーラの様々な攻撃や誘惑というものは、実際にマーラが存在して現実的に攻撃を仕掛けた、誘惑をしたのだ、という人もいますし、釈迦牟尼の内的な現れだという見解など色々とありますが、私は内的なものだと思っていますが、それはともかく釈迦牟尼ですら成道する、悟る、解脱する前に様々な困難、誘惑などを超えていかれました。

ですから私たちも瞑想を深めていくと何らかの障害であるとか、見たくもないものに直面するであるとか、それは避けられないというのは理解しておく必要があるでしょう。

最近はエネルギーの流れが変わってきているし、地球の波動も上がってきているので、今までのように艱難辛苦を経て目覚めていく、悟っていく時代ではないのだ。

あまり困難に直面することなく悟っていけるのだ、ということを言っている人もいるようですが、苦行をひたすらやって、苦労に苦労を重ねて目覚めていくというのは違うと思いますが、地球の波動が上がったとか、エネルギーの流れが変わったとか、今までより楽に悟れるのだというのは、それはどうなのかな?という気がしますね。

将来的にはそうなっていくかもしれないけれども、それは一つの可能性としてですが、でも現時点においてはまだそれほどの苦労もなく、今までより楽に目覚めていけるのだ、という意見については私は懐疑的です。

あまりお気楽に流されず、苦労に苦労を重ねて悟っていくというのでもなく、やはり釈迦牟尼が言われている中道が大切だと思います。

苦行や努力に努力を重ねるやり方も、「私はこれだけ努力をしているんだ。艱難辛苦を経てそれに耐えて超えてきたんだ。だから私は悟れるのだ」といいった慢が生じる、自分に酔いしれてしまうこともあります。

私もそういった時期がありましたし、他にもそういう修行者をたくさん見てきました。

ですから苦行の果てに悟りがあるのだとか、努力に努力を重ねてその果てに達成するのだというのは違います。

かと言ってお気楽に進んでいって悟れるかというとこれまた違うと思います。その辺りはやはりバランスが大切です。

ともかく瞑想やスピリチュアルワークに取り組む人は、色々なことがあったとしても、そこでくじけたり挫折することなく、自分なりのペースで継続していただければと思います。

その先には何らかの達成というものがあるでしょうし、最終的にはそもそも達成する自分もいないのだ、というところに行きつきますが、まずは継続することが大切あることはいくら言っても言い過ぎではありません。

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